ナイツ土屋さんの“お母さん”は、実は元演歌歌手。
その名も 津島明希(つしま あき)さん。
なんと、1968年に「浪花節だよこの俺は」でデビューしていたというからビックリ。
この記事では、彼女のプロフィールや経歴、そして現在の様子までまとめてご紹介します。
津島明希のwiki風プロフィール

津島明希さんは、1960年代に活動していた元演歌歌手で、ナイツ土屋伸之さんの実母です。
活動当時は芸能事務所マセキ芸能社に所属し、昭和の演歌歌手として活動。
以下が彼女の主なプロフィール情報です。
本名:土屋和子(つちや かずこ)
芸名:津島明希(つしま あき)、別名義に「津島波子(つしま なみこ)」も使用
出身地:長崎県
デビュー年:1968年
所属事務所:マセキ芸能社(当時)
デビュー曲:「浪花節だよこの俺は」
同世代:和田アキ子、前川清、藤圭子などとほぼ同期
活動内容:演歌・ブルースなどの楽曲を数枚リリース
演歌歌手としての活動は長くは続きませんでしたが、芸能界とのつながりは深く、土屋伸之さんの芸能活動の背景にも関係があると考えられますね。


演歌界で活躍していた頃は、あの 和田アキ子さんや前川清さん、藤圭子さんと同世代だったそうですよ。
津島明希デビュー曲は“浪花節だよこの俺は”だった?


デビュー曲はズバリ…
『浪花節だよこの俺は』!



昭和演歌全開のタイトルがインパクト抜群ですよね。
この曲で1968年にデビューし、その後は名義を「津島波子」に変えて『新宿番外地』『女ひとりのブルース』といった曲もリリースしています。
ちなみに大ヒットとはいかなかったようですが、独特の歌声がファンの間では“隠れた名曲”とも言われているとか…?


また、あまりヒット曲には恵まれなかったようですが、『新宿番外地』を勝新太郎さんが気に入り、当時の日刊スポーツに推薦していました。
津島明希の現在は


現在は芸能界を引退されています。
表舞台には出ていませんが、以前NHK番組「ファミリーヒストリー」でインタビューに答えられていました。



デビュー当時の印象がそのままですね。
ナイツ土屋さんの所属事務所「マセキ芸能社」は、実は お母さんがかつて所属していた事務所なんです。
つまり…“芸能界の縁”が親子でつながっていたというわけ。


しかも2025年6月放送の『バナナサンド』では、土屋さんが見事な歌唱力を披露。
「あれ、歌上手すぎない?」と思ったら…やっぱり お母さん譲りだったんですね。
まとめ
津島明希さんは、1968年に「浪花節だよこの俺は」でデビューした元演歌歌手で、ナイツ土屋伸之さんの母です。
芸能界での経歴や人脈は、息子の土屋さんの現在にも影響を与えていると考えられます。
以下、これまでのポイントを整理します。
1968年に演歌歌手として「津島明希」名義でデビュー
デビュー曲は「浪花節だよこの俺は」
別名義「津島波子」でも活動し、複数の曲をリリース
所属事務所はマセキ芸能社で、現在のナイツ土屋さんとも縁がある
芸能界引退後も、その影響は土屋さんの芸能人生に色濃く残っている
和田アキ子や前川清と同世代の演歌歌手として活動していた経歴を持つ
津島明希さんの芸歴や背景を知ることで、ナイツ土屋さんの意外なルーツに気づくことができる内容となりました。